1994年4月〜7月
ルワンダのジェノサイド
Rwandan genocide
経緯
1994年4月6日、ルワンダの大統領を乗せた飛行機が撃墜された。それをきっかけに、4月から7月にかけて、軍や民兵、各地の行政官らが全国でトゥチ(ツチ)の人びとを組織的に殺害した。殺されたのはトゥチと、虐殺に反対したり和平合意を支持したりしたフトゥで、身分証の民族欄がトゥチを見分ける手がかりに使われた。ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)は1998年、1994年のルワンダでトゥチという集団に対するジェノサイドがあったと認定した1。

背景
ルワンダでは、身分証に民族を記す制度があり、本人がトゥチかフトゥかが書類で分かるようになっていた。ICTRのアカイェス判決は、トゥチを一つの集団として扱い、身分証の民族欄とそれにもとづく慣習による区別が、客観的な指標だったと述べている1。
1994年には、和平合意(アルーシャ合意)にもとづく権力分担が決まっていた。この合意を支持する人びとが、のちに最初の標的になる1。
経過
4月6日の午後8時30分ごろ、ハビャリマナ大統領とブルンジの大統領を乗せた飛行機が首都キガリの空港付近に墜落し、乗っていた全員が死亡した1。
翌7日ごろから、権力分担を支持していた人びとが最初に殺された。首相のアガート・ウィリンジイマナ、最高裁判所長官、社会民主党の指導部のほぼ全員などである1。殺害は全国に広がった。ICTRの起訴は、4月から6月にかけての西部キブイェ県で、ビセセロの丘一帯とムブガの教会で数千人が殺されたと主張し、のちの判決はそれを審理した3。中部のギタラマ県タバ村でも、4月19日に、愛国戦線(RPF)との関係を疑われた教師が殺された。タバの村長だったジャン=ポール・アカイェスは、この事件を含めて起訴された1。
殺害は7月18日ごろまで続いたと、アカイェス判決は書く。同じ日、RPFは停戦を宣言した1。
被害
殺されたのは、主にトゥチである。そのほかに、虐殺に反対した、あるいは和平合意を支持した穏健派のフトゥ、トゥワの人びとも殺された1。ICTRのアカイェス判決は、紛争全体の死者を、推計として50万人から100万人、あるいはそれ以上と記す1。
殺害の現場は全国にあり、教会や技術学校なども追悼施設になっている。そのうちビセセロは、抵抗して2か月以上持ちこたえた人びとが、最終的に殺された丘として記憶されている10。
裁きと記録
1994年11月8日、国連安全保障理事会の決議955により、ICTRが設置された。法廷はタンザニアのアルーシャにおかれた1。
1998年9月2日、アカイェスの第一審判決が言い渡された。国際法廷がジェノサイド罪で有罪を言い渡したのは、これが初めてである。アカイェスはのちに終身刑となり、2001年6月1日には控訴審の判決が出た1,2。9月4日には、暫定政府の首相だったジャン・カンバンダが、有罪を認めて終身刑の判決を受けた4。1999年5月21日の判決では、キブイェ県知事だったクレマン・カイシェマと実業家オベド・ルジンダナが有罪とされた3。
ラジオ放送などによる扇動も裁かれた。メディア事件では、フェルディナン・ナヒマナ、ジャン=ボスコ・バラヤグウィザ、ハッサン・ンゲゼが起訴され、2007年11月28日の控訴審判決で刑期は短縮された5。
死者の数をどう数えるか
死者の数は、約50万人から100万人超まで開きがある。違いは、戦前のトゥチの人口をどう見積もるか、生き残った人の数をどう見るか、そして政府調査の数え方から生じる。1991年の国勢調査はトゥチを597,459人とするが、過少に報告されたという指摘がある。生存者の数も、15万人から30万人台までの幅がある6,8。
ヒューマン・ライツ・ウォッチと国際人権連盟(FIDH)の報告書は、戦前のトゥチの人口から生存者約15万人を引き、少なくとも50万人が殺されたとした6。ルワンダ政府は、2000年の全国調査をもとに、1990年10月から1994年12月までの犠牲者を107万4,017人(うち93.7%がトゥチ)と2002年に公表した11。数え上げの期間は、虐殺が集中した1994年4〜7月より広い。ヴェルポールテンは、国勢調査の過少報告を補正して、トゥチの死者を約56万〜66万人と見積もる8。
フトゥの損失について、同じ研究者は1990年代の暴力全体で約54万人という推計を出しているが、不確実性が非常に大きいと書く。これはジェノサイドの期間に限らない数なので、トゥチの数とは足せない8。
記憶と論争
ルワンダには、いまも多くの追悼施設がある。キガリのギソジ追悼施設には25万人超が埋葬されている。ニャマタ、ムランビ、ビセセロとあわせた4か所は、2023年にユネスコの世界遺産に登録された10。
呼び方について、国連の啓発事業は「ルワンダにおけるトゥチに対する1994年ジェノサイド」という名を用いている。一方、虐殺の期間とその後には、RPFによるフトゥの住民などへの殺害があったとされる。ICTRは主に虐殺の実行者を裁いた。ヴェルポールテンは、穏健派フトゥの殺害、内戦の戦死、RPFによる民間人の殺害、1996〜97年のコンゴ(旧ザイール)での難民の殺害などを別々の暴力として挙げ、それらをどう分類するかは決着していないと書く8。
死者数を低く見せる推計や、ジェノサイドを矮小化する言説もある。2014年のBBCの番組は、1952年の国勢調査を基に、トゥチの死者を約20万人とした。ヴェルポールテンは、基準人口の置き方などの方法上の誤りを具体的に批判している8,9。
死者数の諸説
| 推計した人・機関 | 推計 | 算定の根拠・数えた範囲 |
|---|---|---|
| ヒューマン・ライツ・ウォッチ/FIDH(デ・フォルジュ)(1999年)6 | 少なくとも50万人(約507,000) | 1991年国勢調査から推した戦前のトゥチ人口(約657,000)から、生存者約150,000を引いた。トゥチのみ、1994年4〜7月の数で、戦前のトゥチ人口の約4分の3にあたる。 |
| ICTR アカイェス判決の背景の記述(1998年)1 | 50万〜100万人(またはそれ以上) | 判決が紹介する推計で、紛争全体の死者の数。 |
| マリケ・ヴェルポールテン(2020年)8 | トゥチ 約56万〜66万人 | 1991年国勢調査の過少報告を補正し、生存者数を150,000〜250,000と見て算出。トゥチのみの数。 |
| 国連専門家の推計(同報告が紹介、1999年)6 | 約80万人 | 人口の減少から出した、1994年4〜7月の全住民の損失。トゥチに限らない。 |
| ルワンダ政府の犠牲者調査(2000年調査、2002年公表)11,8 | 1,074,017人(別の文献は1,070,014人とする) | 全国で犠牲者を聞き取り、数え上げた調査。対象は1990年10月1日〜1994年12月31日で、虐殺の期間より広い。 |
| マリケ・ヴェルポールテン(2020年、フトゥの損失)8 | 約54万2,000人 | 暴力による直接の死と、難民キャンプの疾病などによる間接の死の推計。1990年代の暴力全体のフトゥの損失で、ジェノサイドの期間に限らない。不確実性は非常に大きいと本人が書く。トゥチの数とは足さない。 |
出典
- ICTR, The Prosecutor v. Jean-Paul Akayesu, Case No. ICTR-96-4-T, Trial Chamber I, Judgement, 2 September 1998 https://unictr.irmct.org/files/case-documents/ictr-96-4/trial-judgements/en/980902.pdf(確実)
- ICTR, The Prosecutor v. Jean-Paul Akayesu, Case No. ICTR-96-4-A, Appeals Chamber, Judgement, 1 June 2001 https://unictr.irmct.org/files/case-documents/ictr-96-4/appeals-chamber-judgements/en/010601.pdf(確実)
- ICTR, The Prosecutor v. Clément Kayishema and Obed Ruzindana, Case No. ICTR-95-1-T, Trial Chamber II, Judgement, 21 May 1999 https://unictr.irmct.org/files/case-documents/ictr-95-1/trial-judgements/en/990521.pdf(確実)
- ICTR, The Prosecutor v. Jean Kambanda, Case No. ICTR 97-23-S, Judgement and Sentence, 4 September 1998 https://unictr.irmct.org/files/case-documents/ictr-97-23/trial-judgements/en/980904.pdf(確実)
- ICTR, Nahimana, Barayagwiza and Ngeze v. The Prosecutor, Case No. ICTR-99-52-A, Appeals Chamber, Judgement, 28 November 2007 https://unictr.irmct.org/files/case-documents/ictr-99-52/appeals-chamber-judgements/en/071128.pdf(確実)
- Alison Des Forges, Leave None to Tell the Story: Genocide in Rwanda, Human Rights Watch/FIDH, March 1999 https://www.hrw.org/reports/1999/rwanda/(確実)
- Genocide Survivors Support Fund (Survivors Fund), "Statistics"(政府の公式文書の数として1,074,017人を紹介) https://survivors-fund.org.uk/learn/statistics/(要確認)
- Marijke Verpoorten, "How Many Died in Rwanda?", Journal of Genocide Research, 2020, DOI 10.1080/14623528.2019.1703253 https://lirias.kuleuven.be/retrieve/566353(確実)
- Marijke Verpoorten, "Rwanda: Why claim that 200,000 Tutsi died in the genocide is wrong", African Arguments https://africanarguments.org/?p=15083(確実)
- UNESCO World Heritage, "Memorial sites of the Genocide: Nyamata, Murambi, Gisozi and Bisesero"(2023年登録) https://whc.unesco.org/en/list/1586/documents(要確認)
- Hirondelle/JusticeInfo.net「Plus d'un million de morts : bilan officiel」 https://www.justiceinfo.net/fr/7528-plus-dun-million-de-morts-bilan-officiel4318.html(確実)