1995年7月
スレブレニツァの虐殺
Srebrenica massacre
経緯
1995年7月、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァが、スルプスカ共和国軍(VRS)に制圧された。町に暮らし、あるいは逃れてきていたボシュニャク(ムスリム)の男性と少年は、組織的に殺された。女性・子ども・高齢者は、ポトチャリの国連基地の周辺に集められたのち、バスで強制的に移された。旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)と国際司法裁判所(ICJ)は、この殺害をジェノサイドと認定し、ICJは殺された男性を7,000人超とした1,2,3。

背景
スレブレニツァは、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部の町で、国連の「安全地帯」とされていた4。国連のオランダ軍の基地が、ポトチャリにあった1。1995年7月6日、VRSが飛び地への攻撃を始め、住民は基地のあるポトチャリへ逃れた4。
経過
7月11日、VRSのムラディッチ将軍が町に入った。約15,000人の男性が、山を越える縦列を組んで退去しようとした4。
7月12日から13日にかけて、ポトチャリに集まっていた女性・子ども・高齢者は、男性と分けられ、バスでクラダニ方面へ強制的に移された1。
処刑は、7月13日から16日ごろにかけて、各地で続いた。13日にはチェルスカ谷で最初の大規模な処刑があり、同じ日にブラトゥナツ近くのクラヴィツァ倉庫でも殺害があった1,4。13日から14日にかけてティシュチャでバスから男性が降ろされ、14日にはオラホヴァツ(グルバヴツィ)で、学校に拘束された男性が処刑された1,4。14日から16日には、ピリツァの学校と文化会館への拘束、ブラニェヴォ軍農場、ペトコヴツィのダム、コズルクなどでの処刑が続いた1,4。
被害
殺されたのは、スレブレニツァのボシュニャクの男性と少年である。ICJは、制圧後に殺されたボシュニャクの男性を7,000人超とした3。ICTYのクルスティッチ第一審は、処刑された男性の数を、全体で7,000〜8,000人の範囲にある可能性が高いとした1。
殺害の現場は広い範囲に散らばり、学校や倉庫、農場、ダムの近くなどが使われた1,4。女性・子ども・高齢者は、バスで強制的に移された1。
裁きと記録
ICTYは、2001年8月2日のラディスラヴ・クルスティッチ(ドリナ軍団の参謀長、のち司令官)の第一審判決で、スレブレニツァでの殺害をジェノサイドと認定した1。2004年4月19日の控訴審は、本人の罪をジェノサイドの幇助に改め、刑は35年となった。スレブレニツァの殺害そのものがジェノサイドであるという認定は、維持された2。
ICJは、2007年2月26日、ボスニア・ヘルツェゴビナがセルビア・モンテネグロを訴えた事件の判決で、スレブレニツァでの行為を、ボスニアのムスリムを「部分的に」破壊する特定の意図をもって行われたジェノサイドと認定した。一方、セルビア国家が自らジェノサイドを実行したとは認めず(13対2)、ジェノサイドを防ぐ義務に違反したと認めた(12対3)3。
ラトコ・ムラディッチ(VRSの司令官)は、2011年5月26日にセルビアで逮捕された。第一審は2017年11月22日に終身刑を言い渡し、2021年6月8日の控訴審もこれを維持した5。ラドヴァン・カラジッチ(スルプスカ共和国の大統領)には、2016年3月24日の第一審が40年を言い渡し、2019年3月20日の控訴審が終身刑とした6。二人が有罪とされた罪には、スレブレニツァのジェノサイドが含まれる5,6。
死者の数をどう数えるか
スレブレニツァの数は、殺された人の推計、名簿にある犠牲者、身元が確認された人、埋葬された人で、それぞれ別の数である。足したり、一つに決めたりしない。
裁判の認定では、ICTYのクルスティッチ第一審が7,000〜8,000人、ICJが7,000人超である1,3。ICJは、ICTYの第一審の認定を採用している3。
スレブレニツァ・ポトチャリ記念センターの展示は、ジェノサイドの犠牲者の名を8,372人とし、ICRCも同じ数を引く7,8。これは名簿の人数で、法廷の認定と数え方が同じではない。
行方不明者国際委員会(ICMP)は、親族の参照試料によるDNA照合で、2026年6月30日現在、7,023人の身元を確認した(DNAによる6,989人と、DNA以外の34人)。これは、スレブレニツァとジェパの安全地帯の陥落による行方不明者、約8,000人と推計される人びとのうちの数である9。記念センターには、2025年7月11日の追悼までに、身元が確認された6,765人が埋葬され、別に約250人が地元の墓地に埋葬されている10。
記憶と論争
ポトチャリには記念センターと墓地があり、毎年7月11日に、身元が確認された人びとの埋葬と追悼が行われる10。
事件の発生を否定する主張もあるが、ICTYとICJは、裁判の記録にもとづいてジェノサイドを認定している1,3。犠牲者の身元は、ICMPのDNA照合で、一人ひとり確かめられている9。
ジェノサイドと認められた対象は、スレブレニツァである。ボスニアの他の自治体(1992年)については、ICTYのムラディッチ事件とカラジッチ事件で、ジェノサイドは認定されなかった5,6。オランダ軍と国連の役割は、別に論じられており、オランダ戦争資料研究所(NIOD)の報告書が2002年4月10日に公表された11。
死者数の諸説
| 推計した人・機関 | 推計 | 算定の根拠・数えた範囲 |
|---|---|---|
| スレブレニツァ・ポトチャリ記念センターへの埋葬(2025年7月11日、報道)10 | 6,765人 | 記念センターに埋葬された、身元が確認された犠牲者の数。別に約250人が地元の墓地に埋葬されている。殺された人の推計ではなく、埋葬の数。 |
| ICJ(2007年)3 | 7,000人超 | ICTYの第一審の認定を採用した数。スレブレニツァ制圧後に殺されたボシュニャクの男性。 |
| ICTY クルスティッチ第一審(2001年)1 | 7,000〜8,000人 | 名簿や人口統計、遺体・墓の鑑定、証言(行方不明は最低7,475人とする証言を含む)を総合した認定。1995年7月のスレブレニツァ制圧後に処刑された男性で、全体で7,000〜8,000人の範囲にある可能性が高いとした。 |
| ICMP(行方不明者国際委員会)(2026年6月30日現在)9 | 7,023人の身元を確認 | 親族の参照試料によるDNA照合で6,989人、DNA以外で34人。対象は、スレブレニツァとジェパの安全地帯の陥落による行方不明者(約8,000人と推計)。身元確認の数で、殺された人の推計ではない。 |
| スレブレニツァ・ポトチャリ記念センター、展示(年は不明)7 | 8,372人 | ジェノサイドの犠牲者の名簿の人数。ICRCも同じ数を引く8。ボスニア・ヘルツェゴビナ側の名簿にもとづくとされ、法廷の認定とは数え方が同じではないので、ほかの数とは足さない。 |
出典
- ICTY, Prosecutor v. Radislav Krstić, Case No. IT-98-33-T, Trial Chamber, Judgement, 2 August 2001 https://www.icty.org/x/cases/krstic/tjug/en/krs-tj010802e.pdf(確実)
- ICTY, Prosecutor v. Radislav Krstić, Case Information Sheet (IT-98-33) https://www.icty.org/x/cases/krstic/cis/en/cis_krstic_en.pdf(確実)
- ICJ, Application of the Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide (Bosnia and Herzegovina v. Serbia and Montenegro), Judgment of 26 February 2007, I.C.J. Reports 2007, p. 43 https://www.icj-cij.org/node/103164(確実)
- スレブレニツァ・ポトチャリ記念センター, "Genocide in Srebrenica"(年表) https://srebrenicamemorial.org/en/page/genocide-in-srebrenica/26(確実)
- IRMCT, Prosecutor v. Ratko Mladić, Case Information Sheet (MICT-13-56) https://www.irmct.org/sites/default/files/cases/public-information/cis_mladic_en.pdf(確実)
- IRMCT, Prosecutor v. Radovan Karadžić, Case Information Sheet (MICT-13-55 and IT-95-5/18) https://www.irmct.org/sites/default/files/cases/public-information/cis_karadzic_en.pdf(確実)
- スレブレニツァ・ポトチャリ記念センター, 展示 "Reading for Srebrenica" https://srebrenicamemorial.org/en/exhibits(確実)
- ICRC, "25 years after sorrow: Srebrenica, 8,372 lives remembered", 2020年7月9日 https://www.icrc.org/en/document/25-years-after-sorrow-srebrenica-8372-lives-remembered(確実)
- ICMP, "Srebrenica Figures as of 30 June 2026" https://icmp.int/wp-content/uploads/2026/07/srebrenica-english-2026-1.pdf(確実)
- N1, "Thousands gather to lay Srebrenica genocide victims to rest 30 years on", 2025年7月 https://n1info.ba/english/news/thousands-gather-to-lay-srebrenica-genocide-victims-to-rest-30-years-on/(要確認)
- NIOD(オランダ戦争資料研究所), Srebrenica: een 'veilig' gebied(英題 Srebrenica, a 'safe' area), 2002年4月10日公表 https://www.niod.nl/en/srebrenica-report(要確認)