1932年〜1933年

ホロドモール

Holodomor

経緯

1932年から1933年にかけて、ソ連では農業集団化と穀物の強制調達のもとで大飢饉が起き、ウクライナ共和国の農村を中心に、住民が大量に餓死した。ウクライナの農民は、他地域へ逃れることも制限された。ウクライナの超過死亡の推計は約260万〜390万人で、ソ連全体の飢饉については、これとは範囲の違う推計がある1,2。この飢饉が政策による人為的なものだったことは広く認められているが、特定の民族を滅ぼす意図があったか、ジェノサイドと呼ぶかについては、研究者と国のあいだで見解が分かれている1,3,4。

背景

1929年の末、ソ連で強制的な集団化が始まった。1932年夏までに農家の6割超が集団農場に入り、ウクライナでは約7割に達した1。1931年には収穫が前年より低下し、飢えの知らせがモスクワに届いたが、穀物の調達量は下げられなかった。種子まで食べられ、翌年の生産は落ちた1。

経過

1932年は凶作だった。スターリンは当初の目標を引き下げながらも、調達を最大にするよう求め、モロトフとカガノヴィチをウクライナと北カフカースへ送った1。8月11日にはカガノヴィチへの手紙で、ウクライナの約50の地区委員会が調達に反対しており、ソ連はウクライナを失いかねないと書いた1。12月14日、政治局は、ウクライナ・北カフカース・西部州の当局に、民族主義者や「反革命」の抵抗を粉砕して調達を果たすよう求める秘密決定を出した1。

1933年1月、モスクワは、ウクライナと北カフカースの境界を閉じて、農民の大量流出を防ぐよう命じた1。餓死者は1933年の初めに最多となった。5月6日、スターリンは作家ショーロホフへの手紙で、農民はサボタージュをして国家に「静かな戦争」をしていると非難した1。春から夏にかけて、ウクライナへ穀物約17.6万トンが送られたが、これは1932年のウクライナの生産の約2%にあたる1。1934年に、全国の死亡率は傾向線に戻った1。

被害

被害を受けたのは、ウクライナ、北カフカース、ヴォルガ流域、カザフスタンなどだった1。民族ウクライナ人は1926年のソ連の人口の21%だったが、NBERの研究は、飢饉の死者の約4割を占めたと試算する1。北カフカースにはウクライナ人の住民が多く、調達の強化とウクライナとの境界の閉鎖の対象になった。カザフスタンでは約100万〜150万人が餓死したとされ、多くがカザフ人だった1。

死者の数をどう数えるか

死者の数は、範囲(ウクライナだけか、ソ連全体か)と定義(超過死亡か、出生の減りを含むか)によって大きく変わる。範囲の違う数は、足し合わせることも、平均することもできない。

ウクライナについては、メレらの人口統計の推計が約260万人1、ドイツ連邦議会の決議は1932〜33年の冬について300万〜350万人とする3。ウクライナの歴史家クルチツキーは約350万人とする4。ルドニツキーらは、年齢・性別・地域別の死亡を使った人口統計で、1932〜34年の超過死亡を約390万人とし、出生の減り約60万人を加えた「総損失」を約450万人とする2。

ソ連全体の飢饉については、デイヴィスとウィートクロフトが公文書をもとに550万〜650万人1,5、コンクエストが約700万人1,6、ロシアの歴史人口学者ポリャコフとジロムスカヤが720万〜1080万人とする1。これらはウクライナの数とは範囲が違い、並べて大小を比べることはできない。

人為か、民族を狙ったか

コンクエストは、集団化と政治的な弾圧による「恐怖の飢饉」で、ウクライナの民族主義が標的だったとみる6,7。デイヴィスとウィートクロフトは、政策は冷酷で残忍だったとしつつ、エルマンの、農民を意図的に飢えさせる政策だったという見方には、指導部の認識を見落としており根拠がないと反論した8。エルマンは、飢えが、中止された強制移住の安上がりな代わりだったとして、ジェノサイドかどうかも検討した9。

ウィートクロフトは、意図的なジェノサイド説と、自然条件だけを原因とする説の両方を退け、誤った政策の偶発的な結果とする中間の立場を取る7。マーク・タウガーのように、不作など自然条件の重みを強調する研究者もいる7。アプルボームは、スターリンが飢えを武器にウクライナの農民を抑え込もうとしたと論じる10。NBERの計量研究は、ウクライナ人への偏りが、行政区の境でなく民族の分布に沿っていたとするが、ウクライナ人から余分に徴収する意図があったかは、史料からは分からないとする1。

国による認定の違い

ウクライナ最高会議は2006年11月28日、「1932〜1933年のウクライナのホロドモールについて」の法律を可決し、第1条でジェノサイドと規定した。否定を違法としたが、罰則は置かなかった11。ロシア下院は2008年4月2日、飢饉が民族に沿って組織されたという歴史的証拠はなく、国際的に認められたジェノサイドの要件はないとする声明を採択した4。ドイツ連邦議会は2022年11月30日、ホロドモールをジェノサイドとして歴史的・政治的に位置づけることが近いとする、慎重な表現の決議を採択した3。

数も政治化してきた。ユシチェンコ大統領(当時)は最大1000万人という数を挙げたが、これは研究の推計の幅を大きく超える4,12。逆に、被害がウクライナだけではないことを強調して、ジェノサイドという呼び方を退ける議論もある4。ウクライナの人びとだけが標的だったのか、農村全体の飢饉の一部だったのかが、認定の議論の中心にある1。

死者数の諸説

推計した人・機関推計算定の根拠・数えた範囲
メレら(2013年。NBERの論文が引用)1約260万人ウクライナ。人口統計にもとづく推計。
ドイツ連邦議会の決議(2022年)3300万〜350万人ウクライナ、1932〜33年の冬。研究の総括として示された数。
セルヒー・クルチツキー(報道、2008年)4約350万人ウクライナ。歴史人口学にもとづくとされる。報道による。
ルドニツキーら(2015年)2超過死亡約390万人(出生の減り約60万人を加えた総損失は約450万人)ウクライナ、1932〜34年。年齢・性別・地域別の死亡を使った人口統計。
R. W. デイヴィス、S. ウィートクロフト(2004年)1,5550万〜650万人ソ連全体(ウクライナだけの数ではない)。調達・収穫・死亡登録などの公文書にもとづく。数はNBERの論文の引用による。
ロバート・コンクエスト(1986年)1,6約700万人ソ連全体の飢饉(ウクライナだけの数ではない)。集団化と富農追放を含む総計は1450万人とする。
ポリャコフ、ジロムスカヤ(ロシアの歴史人口学者、2000年)1720万〜1080万人ソ連全体(ウクライナだけの数ではない)。人口統計にもとづく。NBERの論文の引用による。

出典

  1. A. Markevich, N. Naumenko, N. Qian, "The Causes of Ukrainian Famine Mortality, 1932-33", NBER Working Paper 29089, 2021年7月(2023年5月改訂) https://www.nber.org/papers/w29089(確実)
  2. O. Rudnytskyi, N. Levchuk, O. Wolowyna, P. Shevchuk, A. Kovbasiuk, "Demography of a man-made human catastrophe: The case of massive famine in Ukraine 1932-1933", Canadian Studies in Population 42(1-2), 2015, pp. 53-80 https://journals.library.ualberta.ca/csp/index.php/csp/article/view/21772(確実)
  3. ドイツ連邦議会、決議「ウクライナのホロドモール:想起・追悼・警告」Drs. 20/4681、2022年11月30日 https://www.bundestag.de/dokumente/textarchiv/2022/kw48-de-holodomor-923060(確実)
  4. UNIAN「ロシア議会、1930年代の飢饉をジェノサイドとする呼びかけを退ける」、2008年(クルチツキー、ユシチェンコの数と、ロシア下院声明の引用) https://www.unian.info/world/107267-russian-parliament-rejects-call-to-label-1930s-era-famine-genocide.html(要確認)
  5. R. W. Davies, Stephen G. Wheatcroft, The Years of Hunger: Soviet Agriculture, 1931-1933, Palgrave Macmillan, 2004, DOI 10.1057/9780230273979 https://findanexpert.unimelb.edu.au/scholarlywork/267821-the-years-of-hunger--soviet-agriculture--1931-1933(要確認)
  6. Robert Conquest, The Harvest of Sorrow: Soviet Collectivization and the Terror-Famine, Oxford University Press, 1986 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1970023484864476180(要確認)
  7. Stephen Wheatcroft, "The Soviet Famine of 1931-33: Politically Motivated or Ecological Disaster?"(UCLAでの講演、2003年5月5日) https://www.international.ucla.edu/ccs/article/3838(要確認)
  8. R. W. Davies, S. G. Wheatcroft, "Stalin and the Soviet famine of 1932-33: A reply to Ellman", Europe-Asia Studies 58(4), 2006, pp. 625-633 https://ideas.repec.org/a/taf/ceasxx/v58y2006i4p625-633.html(要確認)
  9. Michael Ellman, "Stalin and the Soviet famine of 1932-33 revisited", Europe-Asia Studies 59(4), 2007, pp. 663-693 https://ideas.repec.org/a/taf/ceasxx/v59y2007i4p663-693.html(要確認)
  10. Anne Applebaum, Red Famine: Stalin's War on Ukraine, Doubleday, 2017, ISBN 978-0-385-53885-5 https://publishersweekly.com/9780385538855(要確認)
  11. ウクライナ最高会議の法律「1932〜1933年のウクライナのホロドモールについて」、2006年11月28日、第376-V号(ハリコフ人権保護グループの記事) https://archive.khpg.org/1164737679(要確認)
  12. NBC News、2009年2月25日付の記事(ティシコフ、ユシチェンコの数) https://www.nbcnews.com/id/wbna29391949(要確認)