1923年9月

関東大震災時の朝鮮人虐殺

Massacre of Koreans after the Great Kanto Earthquake

経緯

1923年9月1日の関東大震災の直後、東京・神奈川・埼玉・千葉などで、朝鮮人が放火や暴動を企てているという流言が広まった。これを背景に、軍隊や警察の一部と、各地で組織された自警団などの民間人が、朝鮮人を中心に、中国人や朝鮮人と間違えられた日本人を殺傷した。朝鮮人と中国人は、植民地支配と差別意識の残る社会のなかで、武器を持った多数者に囲まれて殺された。政府の中央防災会議の報告書(2009年)は、「虐殺という表現が妥当する例が多かった」と記すが、犠牲者の総数は今も確定していない1。

東京・横網町公園の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑
横網町公園の朝鮮人犠牲者追悼碑(2007年撮影)Hotsuregua(2007)/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons

背景

1923年9月1日、関東大震災が起き、東京や横浜などで火災が広がって通信が途絶した。2日になると、朝鮮人が暴動や放火を企てているという流言が広まった。同じ日の午前、東京衛戍司令官が部隊に警備を命じ、夕刻には戒厳令の一部が東京市と隣接5郡に施行された1。

司法省の調査書は、朝鮮人が一定の計画のもとに非行を重ねた事跡は認めがたいとして、この流言を退けている。内閣府の報告書は、人びとが朝鮮人を襲った背景に、植民地支配への抵抗運動への恐怖や無理解、民族的な差別意識があったと推測する1。

経過

2日夜から、町内や集落ごとに自警団が組織され、通行人を尋問して、朝鮮人や不審と見た者に暴行を加える例が出た1。当時は武器を持った民間人の集団がみな「自警団」と呼ばれた。震災前から警察の奨励で作られた地域もあれば、震災の直後に自然に生まれた所も多く、一概には論じられない1。

東京で殺傷事件の発生が最も多かったのは3日である。この日、洲崎署の巡査と兵が移送していた朝鮮人約30名のうち、隅田川に飛び込んだ17名が兵に射殺されたと、軍の記録にある1。4日から6日にかけては、千葉県内で護送中の朝鮮人が殺され(3件・54名)、埼玉と群馬でも警察署や護送中の朝鮮人が襲われた(5件、約81名)1。

4日には亀戸警察署で社会主義者10名が軍隊に殺された。16日には憲兵大尉の甘粕正彦が、無政府主義者の大杉栄ら3人を殺し、軍法会議で有罪となった1。5日に出された内閣告諭第2号は、民衆が朝鮮人を迫害することを戒めた1。

被害

朝鮮人のほかに、中国人と、朝鮮人と間違えられた日本人も殺された。司法省の調査書は、朝鮮人と誤認された日本人について46件で死者58名・負傷31名、中国人について死者3名・負傷5名を数える。これは起訴された事件の集計である1。

中国人の被害は、東京の大島・江東地区に集中した。司法省の調査書は、大島町事件と、中国人労働者の共済組織を率いた王希天の行方不明(9月9日)について「其の事跡明ならず」とした。しかし外務省の記録には、警視庁が約300名の中国人労働者の殺害を外務省に伝えた記載があり、報告書はこの事件の実在を公的な記録から明らかだとする1。仁木ふみ子は、中国側の名簿4種を照合し、死者656名・行方不明11名を数えた。その8割以上が大島・江東地区である1,2。

千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)では9月6日、香川県から来ていた薬の行商人15人が自警団に襲われ、幼児や妊婦を含む9人が殺された。被害者は全員、香川県の被差別部落の人びとだった7。福田村と隣の田中村の自警団員7人が有罪判決を受けたが、懲役刑となった者も恩赦で釈放された。犠牲者への謝罪や賠償はなく、現場に慰霊碑が建てられたのは事件から80年後の2003年9月6日である7。

裁きと記録

司法省の調査書(11月15日現在)によると、朝鮮人233名の殺害で367名が起訴されていた1。一方、11月7日の閣議後に内務・外務・司法・陸軍の4大臣が協議し、大島町事件と王希天の件を「徹底的ニ隠蔽スル」ほかないと決めたと、外務省亜細亜局の口述記録にある1。12月には、王正廷を団長とする中国側の調査団が来日した1。

2003年8月25日、日本弁護士連合会は内閣総理大臣に、謝罪と真相の究明などを勧告した。勧告は、軍隊が直接に殺害したことと、国の誤った情報の伝達に誘発された自警団が殺害したことを、国の責任として指摘する3。2009年3月には中央防災会議の専門調査会が報告書を公表し、武装した多数者が非武装の少数者を殺害した例が多かったとした。官庁の記録は一部しか残らないとも記す1。

死者の数をどう数えるか

犠牲者の総数は確定していない。官庁の記録は、把握できた分に限られる。司法省の調査書は233名、内務省は10月に約248名、朝鮮総督府の東京出張員は内査の見込みとして約813名を挙げた。1924年に朝鮮総督府が弔慰金のために把握した朝鮮人の死者・行方不明者は832名だが、災害による死者を含み、殺傷事件の犠牲者とは区別していない1。

在日朝鮮人の調査団の数は、これより大きい。10月末の中間報告にもとづく吉野作造の原稿は2,613余名、12月に上海の『独立新聞』に載った最終報告は6,661名とする。ただし最終報告のうち約4,000名分は府県名だけの記載で、根拠が分からない1。山田昭次は埼玉の数値を検証し、追加分を算入しない方が他の情報と近いと指摘した(内閣府の報告書のコラムによる)1,4。中央防災会議は正確な数は掴めないとし、殺傷事件全体(朝鮮人・中国人・日本人)を、震災による死者数の1〜数パーセントとする1。

朝鮮人、中国人、日本人の数は、数える範囲が違うので足し合わせない。官庁の数と調査団の数の違いは、何を根拠に数えたかの違いである。

記憶と論争

流言の発生と国の関与については、見方が分かれる。姜徳相・琴秉洞の史料集(1963年)などは、支配層が流言をつくり、利用したとする立場をとる1,5。中央防災会議の報告書は、流言を意味づけの暴走として生じたものと整理し、3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、これを増幅したとする1。

2023年8月30日の内閣官房長官の記者会見で、政府内に事実関係を把握できる記録は見当たらないという趣旨の発言があったと、国会議員の質問主意書は引用している。質問主意書は、中央防災会議の報告書や国立公文書館などの資料を挙げて、これに反論している(質問者の主張)6。

事件そのものを否定する言説が国内にあることも知られている。これに対し、中央防災会議の報告書は、殺傷事件があったことを認めている1。

死者数の諸説

推計した人・機関推計算定の根拠・数えた範囲
司法省「刑事事犯及之ニ関連スル事項調査書」(1923年)1朝鮮人と誤認された中国人 死者3名・負傷5名起訴された事件の集計。朝鮮人・日本人の数とは範囲が違う。
戒厳司令部詳報「兵器使用一覧表」(1923年)1朝鮮人 53名陸軍各部隊の報告。軍隊が兵器を使って殺害した朝鮮人で、11件。自警団などによる殺害は含まない。
司法省「刑事事犯及之ニ関連スル事項調査書」(1923年)1朝鮮人と誤認された日本人 死者58名・負傷31名起訴された事件の集計(46件)。朝鮮人・中国人の数とは範囲が違う。
司法省「刑事事犯及之ニ関連スル事項調査書」(1923年11月15日現在)1朝鮮人 233名(負傷42名)起訴された事件の集計。9月2〜6日の53件で、起訴できた事件に限られ、全体を示さない。
内務省(朝鮮総督府の記録による)(1923年10月)1朝鮮人 約248名官庁が把握した分。
仁木ふみ子(1993年)1,2中国人 死者656名・行方不明11名中国側の名簿4種の照合と、1990年の現地調査による。大島・江東地区が8割以上。朝鮮人の数とは足さない。
朝鮮総督府東京出張員(1923年10月)1朝鮮人 約813名内査による見込み。東京・神奈川・埼玉・栃木・群馬・千葉・茨城・長野の朝鮮人が範囲。
朝鮮総督府(1924年)1朝鮮人 832名弔慰金の支給のために把握した、震災による朝鮮人の死者・行方不明者。災害死を含み、殺傷事件の犠牲者とは区別していない。
吉野作造の原稿(1923年)1朝鮮人 2,613余名在日朝鮮人の調査団による聞き取りをもとにしたとされる、10月末の中間報告。場所と人数が記載されている。
在日朝鮮人の調査団の最終報告(1923年12月、上海『独立新聞』掲載)1朝鮮人 6,661名(内訳の再計算では6,644名)調査団の集計。約4,000名分は府県名のみの記載で、根拠が分からない。
中央防災会議 専門調査会(2009年)1震災による死者数の1〜数パーセント公文書の検討による。朝鮮人・中国人・日本人をあわせた殺傷事件全体で、正確な数は掴めないとする。

出典

  1. 中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1923 関東大震災【第2編】』内閣府(防災担当)、2009年3月。第4章第2節「殺傷事件の発生」、コラム8「殺傷事件の検証」ほか https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/index.html(確実)
  2. 仁木ふみ子『震災下の中国人虐殺:中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか』青木書店、1993年 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002272328(要確認)
  3. 日本弁護士連合会「関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺人権救済申立事件(勧告)」内閣総理大臣宛、2003年8月25日 https://www.nichibenren.or.jp/document/complaint/year/2003/2003_7.html(確実)
  4. 山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺:その国家責任と民衆責任』創史社、2003年 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007437252(要確認)
  5. 姜徳相・琴秉洞編『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』みすず書房、1963年 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1970586434820138251(要確認)
  6. 参議院 質問第一六号「松野博一内閣官房長官が見当たらないとする朝鮮人等虐殺事件に関する『政府内』の記録に関する質問主意書」石垣のりこ議員、令和5年10月20日 https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/212/syuh/s212016.htm(要確認)
  7. 特定非営利活動法人香川人権研究所「福田村事件」(ちいさな人権博物館) http://kagawa-jinken.org/publics/index/72/(確実)